しかたがないのかなって受け止めながら、納得できる部分と納得できない部分があって、やっぱりすべてを受け入れる器は自分にはない。そんな俯瞰老骨気取り昔はあんなことがホニャララ思い出語り上から目線奴にはなれないのです。
だから私は私の価値観を曲げずにこのブログを最後まで書いていきたいと思います。すべて受け入れることが大正義何もかもをネタ化大喜利に昇華したがるなんちゃって他の奴とは違います風吹かせ奴に読ませる記事はない。
2020年1月22日22時、アンジュルム・室田瑞希が3月22日のひなフェスをもって卒業することが発表されました。
メンバーのブログを読んだりしてなんとか落ち着きを取り戻してはいますが、まだぜんぜん寂しいし、時間があればアンジュルムのことばかり考えてしまうし、たぶん変なアドレナリンが出ていてなにも冷静に考えられていないような気がするけど、考える頭が止まない。ツイートしすぎるとキモいから自重してるけど。
驚愕→絶望→絶望→寂しい→推しを考える→事務所のせいにしたい(ヤケ)→人の意見に影響されやすくなる→寂しい→推しを考える→自分の考えと価値観を忘れるな→空元気(この時に突拍子もない遠征を決め込む)→やっぱり寂しい。ずっとこの繰り返し。ここ最近。ずっと。でもしかたがない。みんな歩んでいる時間が違うから、こうなってしまうのはしかたがない。
室田瑞希ちゃんは、スマイレージ・アンジュルムの3期メンバーとして加入しました。当初、私の印象としては、おいしいパートを貰っているけど、ハロプロで言うスキルには優れないが変わり者のブルジョワでもはや存在するだけで素晴らしく面白い相川茉穂ちゃんと、しっかりしたお顔立ちのとびきり最年少で徐々に見えてきた子どもっぽいところが愛らしい佐々木莉佳子ちゃんのふたりと並ぶとあまり目立たないかもなあ。と思ってしまいがちなのがむろでした。
この人は今でこそ愉快でやかましいお姉さん、みたいなキャラで定着しているが、加入当初からしばらくはキャラがふらふらしていたと思う。後輩が入ってきてしばらくしてからはなんとなく固まってきたかな~? という印象です。
むろの根の真面目さ、ストイックでパフォーマンス、特に歌の面では着実に確実に堅実にスキルアップしていく姿勢、そしてそれをおくびに出さない不言実行さ、どこでも笑いを生み出す才能、恥ずかしがらない怖がらない、ずっと室田瑞希で居てくれる安定感。そこにちょっとした三下感(褒めてる)。それでいてちょっとあやういところもある子。今あらためて考えると、なにもかも大好きな子。
私はむろのことが大好きです。正直パフォーマンスに納得できない時もあった。けれど、それでもむろは仕上げてきてくれた。だからむろなら大丈夫なんだって思えた。信頼と実績という言葉はむろにふさわしい。だからアンジュルムにまだ居てほしいとどうしても願いたい。今でもまだ居てもらいたい。居てもらわなきゃ困る、と思ってしまう。だけど同時に、むろの選択を応援したい。これは矛盾することではないと思う。
私は私の推しやメンバーたちが好んで入った場所、望んで存在している場所に本当であれば絶望もしたくないし、諦めたくもない。別に嫌いたいわけでもない。嫌うことが趣味なわけではない(いやまじで)。けどハローでは高みや次を望むことはできない環境だとひしひしと感じている。事務所とメンバーの向き合い方は今のままが正しいのだろうかと疑問に感じる。
アンジュルムが歌う「46億年LOVE」の歌詞に「もしも争いのない未来 誰かが堪えてたら意味ない」「夢に見てた自分じゃなくても真っ当に暮らしていく 今どき」というフレーズがある。奇しくもこのパートは卒業を決めているむろとふなちゃんのパートだ。ふたりはどんな気持ちでずっとこのパートを歌っていたんだろう。すごく楽しかったはずの46億年LOVEが今や旧く苦しく感じる。
アンジュルムは時が過ぎるスピードが早い。何と比べて早いんだ?って言われるかもしれないので、これは私の感覚でしかないのだけど、とにかく早い。それは当て書きされた歌の歌詞があるから尚更そう感じるのかもしれない。
当時はよくても、ふと何かあるとシャレにならないなと感じる。この追いついてなさこそ、事務所とメンバーの不一致、ヲタクにもなんとなく感じられるズレなんじゃないかと思う。
どなたかがtwitterで「事務所は悪気はないけど基本的にケチでマヌケ」というようなことを呟いていた。ケチはともかく、悪気なくマヌケというのはなかなか状況として最悪だ。
自分が愚か者だと気づいていない。知識や常識が更新されておらず古い価値観をひけらかす。あやまちに気づかない。
こういったことが私の中では悪気なくマヌケという存在に定義されているけど(マヌケを最大限かわいくない意味合いで受け取ると)、それを相手取るメンバーは、やはりハローにいることで生まれるどうしようもない価値観の違いを味わうことが何度もあるのではないか。推測でしかないけど。
かつてカントリー・ガールズを卒業した梁川奈々美ちゃんは「改めて自分自身に向き合った結果「アイドル」から離れ、「梁川奈々美」としての人間的な成長が必要だと感じ、そのためにも進学したい、という気持ちが大きくなりました。」と発表時に語っている。この時私は事務所は梁川奈々美に見放されたんだなと感じた。この時から今まで、何も変わっていないと思う。何も学んでいないと思う。
事務所はさ、多分事務所のスタンスを変えることはないのよ。だけどメンバーと事務所にスタンスの不一致が出てくるわけじゃん。それを解消するすべって結局は卒業しかないのではないかと。思う。(妄想)
— しちみ?? (@0713na_) January 22, 2020
どうにも埋まらない溝とか、決定的な価値観の違いとか。そういうのを解消する術(方法)は結局(最終的にではない、断じて)卒業しかないのではないかと思う。妄想だけど。(こう書いとかないと私が事務所に真撃にこの話を届けたがってるとか、私が議論したがっているとか思う人がいるので)
この考えに至ったのにはもっと前から原因がある。カントリー・ガールズの新体制が決まった時のプレスリリース。「現在、大学2年の山木梨沙、高校1年の小関舞に関しては「学業との両立」もあり、ハロー!プロジェクトは中学卒業後の学業も大切であると考えているので、」という一文がある。
当時西暦2017年。21世紀。昭和初期でもなければ戦時中でもない。女性がまともに学校に通えない時代でもない。小中学校の義務教育は当然、高校も大学も進学が今や当たり前のはずなのに、こいつら(事務所)は何を言っているんだと愕然とした。そんな当たり前のことをさも大々的なことかのように書く愚かさは今思えば悪気なくマヌケなんだと合点がいく。
ちょっと話が逸れたような気もしますが、この状況でメンバーが「私が成長できるのはここじゃない」と思うのはなにも異質ではないし、私としては違和感も感じない。だからメンバーがグループを卒業するという選択は決して悲しいものではないんです。
だけど寂しいから、あまり早く立ち直れません。ヲタクは嘆いてしまう生き物です。嘆くことで消化不良起こしてるメンタルをどうにか循環させているような気もします。嘆きの時間が必要です。エゴサすると出てきちゃって不愉快になるかな。ごめんね。
でも彼女たちの今を追うこと、価値観をアップデートし続けることと、何事も押し付けないこと、各々のやり方で応援すること。それだけしかできないけど、そうしていけば信じてもらえるだろうか。
もっと大きい箱で、単独で公演したかったね。どうしたらそういう未来になっていたんだろう。どうしたらふなちゃんの卒業が延期された宙ぶらりんの状態を回避できたんだろう。まだむろの歌声で聴きたい曲がたくさんあります。ふざけてる姿もたくさん見たい。あなたがいつだって必要です。それからみんなの心が心配です。ヲタクの心配よりも自分の心配してください。メンバーが謝る必要はない。他人の人生をエンターテイメントにしていることを私もよく考えなければならない。むろの勇気ある選択に最後は笑って拍手を送りたいです。時間が短くてもなんでも、アンジュルムのみんなならきっと素敵な公演にしてくれると信じています。